「10年間も無職でした」
って人がアナタの
周りにいますか?
どうも、はじめまして、
マサキです。
「10年間無職」という
稀有な経験をした
マサキの自己紹介を
していきたいと考えています。
10年間の無職経験者。
クズって声が
聴こえてきそうですが、
若かりし頃は、
吹奏楽の部活動に
青春のすべてを
捧げているような、
健全な青少年でした。
朝練をしたいから
早起きをし、学校に登校、
1時限目や2時限目の
授業を睡眠にあて、
先生に怒られたり、
急に腹が痛くなったと言い残し、
1ヶ月間英語の授業を保健室で
過ごしたこともあるくらい、
部活だけが生きがいだった
青春時代を過ごしました。
あっ!!
ヘタっすよ。
トロンボーンを
吹いていたのですが、
泣きたくなるくらいヘタでした。
それでも練習をした分だけ
上手になれた部活での経験は、
青春時代だけでなく、
今もマサキを支える大切で
貴重な経験が詰まった
時期になります。
そんないたって健全な男子の
人生の空模様が、
ちょいと曇りだしたのは、
親元を離れた大学生の時。
本格的にパチ屋デビューを
果たした辺りから。
パチンコ台の前に座って
数時間で5万円弱の出玉を
得たのが始まりで、
あれよあれよという間に
ドハマりしていました。
あれだけ熱中した
トロンボーンの演奏も、
サークルのぬるさと
恋人探しの場のように感じられた
雰囲気がイヤになってしまって、
興味と情熱の中心がパチ屋に
移行するのに時間はそれほど
必要がなかったです。
とはいえ、
「どうすれば勝てるか」と考え、
自分の仮説と実証を
繰り返す感覚は、
部活で演奏の上達を目指し、
一心不乱になってた時と
同じ感覚を覚えていたのです。
徐々に月単位では
負けないようになると、
生活の拠点はパチ屋に移行し、
パチ屋で過ごす日々に
明け暮れました。
大学4年生になり、
マサキも就活をする
時期に突入し、
就活に挑みます。
就活は順風満帆には行かず、
不採用通知の山に
嫌気がさしました。
それも、パチ屋に通えば
サラリーマンの小遣い以上は
稼げたことでアルバイトの
経験が無いことを
自慢気に語ったことや、
極度の苦手の英語の正答率が
低すぎることをなじられた末の
不採用通知の山。
その絶縁状が、
「ダメ人間」
とか、
「社会不適合者」
と言われているようで、
正直、心が傷つき、
辛さで心が潰されていく感覚を
味わうことになったのです。
その時のマサキの決断は、
就職などせず、
「パチ屋の金で生活を
回していけばいいや」
という逃げの選択でした。
就活を断念して
卒業をし、逃げ込んだ
「パチプロもどき」の生活。
そんな生活を半年ほど
送ったのです。
でも、両親から戻って来るように
忠告されたことと、
「勝ち続ける」ことへの重圧と
「負けられない」ひりつき、
「仕事」にしてしまって
「楽しさ」を
喪失したことなどが原因で、
「パチプロもどき」の生活からも
逃げ出してしまいます。
その後、実家に帰り、
週1のバイト生活を経た後、
本格的に無職になります。
これが冒頭に語った
「10年間の無職」
の幕開け。
とにかく当時のマサキは
「傷つかない」ことを
至上命題としていました。
就活での苦い記憶と、
週1バイトで不真面目な
態度をしていたことを
酷く怒られたことで、
人との繋がりを
閉ざすようになってました。
1日中テレビを見たり、時々、
親に就活に行くと嘘をつき、
金をせびってパチ屋に
こっそり出向いたりと
無意味で味気ない時間を
過ごすことになります。
無職を10年も続けたって
聴くと何にも考えていないと
想われるかもですが、
人から傷付けられることへの
不安と同時に、
将来への不安も
マサキは抱え込んでいました。
将来への不安を解消するには、
金が必要。
そこで、人と逢うことなく、
金を稼ぐ方法が無いかと、
ネットをボケッっと眺めていて、
「ブログアフィリ」の存在を
知ります。
無職になって
5年目くらいのことでした。
変わるキッカケが欲しくて、
ブログアフィリを始めます。
ブログを始めたことで
良かったのは、
荒んだ気持ちが幾分か
和らいだことです。
文章を書くことは
想いや考えを伝えること。
マサキの中に溜まった鬱屈した
気持ちを吐き出すことができ、
文章を書いている時だけ、
部活をしていた頃のように、
余分なことを考えず、
自分に向き合い、
時間が経つのを忘れていました。
「ブログアフィリを
始めたこと」と
「集中して文章を書いている
自分を感じたこと」が、
「傷つきたくない」と
逃げ込んだ「無職生活」で、
「これじゃぁダメだ」と
想いつつも、
一歩踏み出そうとすらしなかった
マサキの心に
「変わりたい」という意志を
産み出すことになったのです。
その後、ガキみたいな片想いを
抱かされることになる、
恋焦がれる人への憧れが、
この「変わりたい」という
願いにもにた意志を、
「変わるんだ」という
「断固たる決意」に変えてくれ、
学生時代に逃げ出した
就活に乗り出す勇気を
授けてくれました。
ブログアフィリを始めたことで、
文章を書く魅力に触れ、
「変わりたい」という淡い
期待を生んではくれたモノの、
現実は甘くはなかったです。
というのもブログアフィリを
開始する為に購入したモノは、
「ブラック企業で働いていた
教材販売者が副業として
取組んで月々100万円を得た」
というキャッチコピーの教材。
その言葉を鵜呑みにし、
また、自分の能力への
自信過剰さから、
「無職で時間はたっぷりあって、
人よりも能力があるから、
少なくとも月々300万円は
いけるな」となって始めたのに、
結果は、初報酬までに3ヶ月、
得た報酬は300円という
予想外に悪い展開でした。
ただ、この挑戦は2年ほど続けて、
1万円の壁を超えられず、
気持ちが萎んでいくことに
なるのですが・・・。
とはいえ、気持ちが
萎んでしまうまでの期間は、
マサキなりに教材に
書かれたことを実行し、
記事投稿をして、
反応を観察していました。
それでも、
どうしても上手くいかない
ポイントが出てきたのです。
今なら、「再度、教材の
読み込み」をしたり、
「教材販売者さんに
質問する」という
選択をすると想います。
でも、当時のマサキは
「傷つかない為に
人を拒絶する」生活を
送っていたので、
恥を忍んで質問をしたりは
しなかったです。
何をしたのかというと、
新たな教材の発掘。
しかも、今後、マサキが稼ぎを
得ていくために必要なモノを
補ってくれるかもという
視点ではなく、
どれだけ楽に、
どれだけ早く、
誰もが稼げる
努力が不要なモノを
探しまくりました。
そうして、そういう
謳い文句の教材を買い漁り、
多くの教材は
実践することはおろか、
読むこともせず、
教材を購入しただけで
終わっていったのです。
もちろん、
その原資は親の金。
実践をした教材も、
「誰でもカンタンに楽して」
なんて甘すぎる考えを持つ
ポンコツが想い描いた結果を
得られるはずもなく
終わっていきました。
それでも、当時のマサキは
「マサキ自身の考えが悪い」
とはならず、
「教材販売者が嘘をついて
騙しやがった」と、
他人の責任を
追及する気持ちだけを
増大させていたのを
覚えています。
実際、「これ詐欺じゃねぇ!?」
ってのもありましたが、
「最新のテク」や
「楽して稼ぐこと」にしか
興味の無かったマサキには、
どんな教材にも書かれている
不変的で本当に
大切にすべき部分に、
気が付くことなく
終わっていったのです。
その後、恋焦がれる人の
信念を曲げない生き様に憧れ、
「変わりたい」と
願うのではなく、
「変わる」という決意を持って
就活に挑んだ後も、
失敗は続きます。
そもそも、就活のために、
ハローワークに
通うことになるのですが、
そのハローワークに入るのに
1ヶ月くらいかかりました。
10年の無職だと
職員に知られて笑われたり、
休憩中の面白ネタに
されるのではと考えるだけで、
決意が縮みあがり、
足がハローワークの
前に行くと止まってしまって、
ハローワーク周辺で
プラプラして過ごす
日々でした。
ありもしない恐怖を乗り越え、
ハローワークで仕事を探して、
面接に挑むようになると、
今度は、学生時代に
「ダメ人間」と
言われたようで
落ち込んだ不採用通知の山に
再び出逢うことになります。
マサキは見栄っ張りなので、
面接で素直に無職をしている
現状を語ることができず、
無職をしている現状を
尋ねられると、
急にシドロモドロになり、
面接官の心証は
最悪だったのだと
推察されました。
なんか、少しカッコ
良く言ったり、
1割くらい盛って
語ったりしていましたが、
無職をしているって話になると、
相手の表情が険しくなり、
そして届く通知は
「不採用」と書かれ、
世間からの拒絶に感じる
お知らせばかりだったのです。
当然、嫌なことから
逃げ出すのだけは
上手なので、
学生時代の就活のように
「逃げ出すか!?」とまで
考えました。
でも、今回は強い味方が
心の中にいてくれた。
学生時代にはいなかった
恋焦がれる人の存在。
あの人のように生きるために、
「就職くらいはしなきゃ
話にもならない」って
想いが溢れ出し、
「逃げる」のではなく、
闘う「勇気」と「理由」を
このクズに授けてくれたのです。
とはいえ、逃げずに闘うという
意志を持つだけで、
不採用通知が届かなくなるほど、
世の中、甘くはなかったです。
そもそも面接にまで辿り
着けないことが多い中、
辿り着いた面接で
落される・・・。
「もう、慣れましたよ、
ほんと」って
不採用の知らせを
聴いても受け流せるくらい、
不採用通知を
受け取っていました。
これくらいになると、
無職のことを
「もうゴマカスのは
止めよう」となっていて、
素直に就活で傷つき、
そこからパチプロもどきの
生活に逃げ、
さらに無職生活を
長らく送ったこと、
そんな生活の中でも、
ブログアフィリに
向き合ったこと、
記事を書くことへ感じている
魅力を語るようにしたのです。
もちろん、きょとんとされたり、
お気に召さない様子の
面接官からは、
「無職である」事実に、
「働く意欲が無い人は
雇えません」とか、
「ぐうたらな生活をしている
人は我が社には要らない」
というような
辛辣な言葉を
投げかけられたことも
ありました。
当然、その間も不採用通知は
増えていますよ。
でも、マサキにあったのは、
学生時代に負った
傷つきではなく、
「俺のことを理解してくれる
人は必ずいる」
という根拠の無い自信。
そして、今、
働いている会社に辿り着き、
就職を果たしたのです。
就活期間は約1年。
「よくやったよ、俺」って
独りで褒めてやったのは、
昨日のことのように
覚えています。
って言っても、入社できたのは、
「単純な人材不足」が原因で、
マサキの能力を見込んでという
ワケでは無かったと、
後で噂話で耳にしました。
就職してから、
しばらくは職場環境や
身体を慣らすことに
精一杯でした。
でも、身体も慣れ、
人間関係も築けて、
職場にようやく溶け
込めたかと安心し始めた、
入社半年後くらいに
「ハッ!!」
っとさせられる状況に
遭遇します。
それは、昼休憩の一コマ。
仲良くしてくれている
オジサン達が
「給料が安い」とか、
「上司が無能すぎて
残業だらけだ」って
感じの話をしだして、
マサキもその話に
グチグチと愚痴を言いながら、
参加していたのです。
その事実に気が付いた時、
愕然としました。
変わると決意をし、
学生時代には出来なかった
就職までこぎつけたのに、
考え方は「10年間の無職時代から
変わっていない」ということに。
他人のせいにし、
変わりたいと願うだけで、
一切の行動を否定していた
あの頃と変わっていない・・・。
恋焦がれる人にもらった
チャンスだけに、
かなりショックでした。
そして、本当に
変われたと証明するために、
「副業をして収入を
得よう」という結論に至り、
無職時代に挑戦した
ブログアフィリで稼ぎを
得ることにしたのです。
タップリと時間のあった
無職時代ですら、
1万円の壁が
超えられなかったことを
忘れて、
とにかく記事を
UPていきました。
SEOはわかんねぇー
ってフルで無視。
記事の投稿だけを
ひたすらに繰り返しました。
結果は空振り。
そこで、ブログとTwitterの
連動を想いつき、
Twitterの教材を探し始めました。
その時、とある人と知り合い、
Twitterのことを
アカウントの開設の
仕方から教わりました。
1000円の教材を
購入したのですが、
無職の際にブログアフィリに
取組んだ時の反省点である
「分からない部分のことは
質問をする」って決めて、
1000円では許されないくらいの
量の質問攻めをしました。
「てめぇーで調べろよ!!」と
言われるかもしれないと
想いつつ、質問攻めをしたら、
「マサキさんみたいに
やる気の塊な人は教え
甲斐がある」
と意外な反応が返ってきて
ホッっとしました。
と同時に、このやり方は
間違ってないのかもと、
今まで「迷惑になる」とか、
「嫌われるかも」と
勝手に不安になったことに、
「何だったの!?」となり、
バカなことで時間を
ムダにしたと
思い知ったのです。
そして、就活の時と
同じだとも感じました。
10年の無職の話を
「こいつバカか!?」って
つまらなそうに聴く人も、
興味深く聴いてくれる
人もいたように、
質問をして嫌がる人もいれば、
やる気があると
受け取ってくれる人もいる。
もしも嫌がる人なら、
心から誤って二度と
質問しなければ良いだけ。
そして、信頼できる人に
教わることの大切さを、
このTwitterを
教えてくれた人との
出逢いで気が付き、
マサキ自身が
勝手につくった鎖から
解放されたんです。
その後、
この方の一身上の都合で、
教わるチャンスは
失われてしまいましたが、
感謝が尽きることはありません。
なぜなら、
Twitterを始めたおかげで、
副業の先生となる人に
巡り逢えたからです。
コロナの影響が世間を
騒がせ始めた頃、
Twitterの世界に
誘ってくれた方の
実生活がひっ迫してしまい、
リアルな世界で労働をして、
対価を得なければ家族を養えない
状況になったとのことで、
Twitterを教わることが
できなくなってしまいました。
それでも、Twitterが面白いと
感じていた為、
Twitterから離れることは
ありませんでした。
そして、3ヶ月ほど
経過したとき、
夏の太陽に向かった咲き誇る、
強さと信念を持った
ヒマワリのような
副業の先生に出逢いました。
出逢った時は、まさか年齢が
20歳近く離れた人を
副業の先生にするなんて
想ってもいませんでした。
気になった理由は、
吹奏楽に一生懸命になった
過去があり、
今も楽器演奏を
楽しんでみえたからです。
そして絡みにいって
仲良くして頂き、
無料コンテンツで
文章のことを
教えてもらったことで、
「この人からどんな事でも
良いから教わりたい」と
想うようになりました。
それは、副業の先生が
「努力の筋トレ」を
欠かす人ではないと
感じたから。
不遇の状況に陥った時、
「もういい!!」って
逃げ出したマサキとは違って、
「どうすれば
上手くいくのか」と考え、
副業の先生なりの
方法で一生懸命、
前向きに取組む
「努力の筋トレの鬼だ」
って想ったのが、
副業の先生に憧れを
抱いた理由です。
そして、無料コンテンツでの
教えが終わる時に紹介された
とあるプロジェクトに参加をし、
現在、教えを乞うています。
副業の先生との出逢いは、
1つ大切なことを
教えてくれました。
それは、人が人に惹かれる
理由は数字だけじゃない
ってことです。
副業の先生の
Twitterアカウントは
万垢ではないです。
副業の先生は
フリーランス
1年目(2022年時点)です。
副業の先生は教え方が
誰より上手い
ワケではありません。
そして、月々100万円
稼いでいるような
猛者でもありません。
日々、前進しようと
努力されている人です。
でも、そんな人から、
マサキは教えを
乞いたいと想いました。
人は人の生き様に
惹かれると想います。
そう言う意味では、
誇る成果の無い
マサキも、アナタも
魅せることができる
要素はあります。
それを副業の先生は
教えてくれています。
先生に教えを
乞いながら進めている副業。
そこで、失敗だらけで恥の
多い人生を歩んできた
マサキも成功体験を
重ねています。
おまえ、そんなことを
成果にするなって
怒られるかもですが、
成功体験の始まりは、
毎朝4時に起床して、
4時半から出社準備をする
時間となる6時半までの
2時間の朝活を
始めたことです。
無職時代には、
夜11時に就寝をし、
朝9時に起床、
昼過ぎにはうたた寝をしていた、
惰眠を貪るのが大好きなマサキが、
成功するかどうかも
確実じゃない状況でも、
毎日、朝活2時間で
コツコツ積み上がています。
そりゃぁ、
トロトロとしか
前進はできないけど、
それでも「朝活の2時間実践」を
継続してコツコツ
積み上げをしたら、
マサキも成長できました。
副業の先生には、ツイートの
添削をしてもらっています。
添削を依頼した当初は、
「抽象的すぎ」だとか、
「意味が通じない」、
「表現がおかしい」、
「文章の流れが悪い」など、
自信満々に添削を依頼した
ツイートを辛辣に
一刀両断されてしまいました。
まぁ、無職を卒業するために
出逢った意地の悪い
面接官の小言よりは、
優しさがある言葉では
ありましたが・・・。
マサキの心はズタズタ。
でも、副業を成功に導くため、
文章力は欠かせないと
自分に言い聴かし、
めげずにツイートの
添削をお願いしまくったら、
徐々に変化が訪れ、
「すいぶんと良くなりました」
という評価を
もらえるようになり、
「問題無いです」と
素っ気ない一言ではあるけど、
めちゃ心の震える評価を
もらえるようになったのです。
めちゃ嬉しい。
「ポンコツでも続ければ
良いことが舞い
降りてくるかも」という
この想いが、更なる成功を
マサキにもたらしてくれました。
2022年1月から参加している
副業の先生が主催する
プロジェクトで、
0→1を達成したのです。
副業の先生や
Twitterで知り合った
仲間の力を借りたとはいえ、
マサキがゼロから創り上げた
人生初のコンテンツを
noteで有料販売したところ、
公開から1日も経たずに
売れたのです!!
「初めて書いたコンテンツだし、
見向きもされないかも」とか、
「マサキが創ったコンテンツを
有料で販売していいのか!?」
なんて不安を抱えたり、
「見向きをされなくても、
成功した後の話のネタには
最高か!?」って邪な考えや、
「誰かの役に立つといいなぁ」と
期待が入り混じるの
公開でしたが、
最高の結果を
得ることができました。
副業の先生に「マサキさん、
コンテンツを創りましょう!!」
って言われた時、
「えっ!?」ってなった瞬間、
「俺にはそんなのムリっす」
という言葉を
吐き出しそうになりました。
でも、その言葉を吞み込んで
良かったです。
「俺にはムリ」という言葉は
10年間の無職時代に
腐るほど言いましたが、
自分の望む結果は
1度も訪れませんでした。
その言葉を呑み込み、
「やってみます」と
強がりでもなんでも
良いから言えるようになった
「マサキ自身の成長」が、
10年の無職経験男としては
一番嬉しい成功体験です。
マサキは
「マサキの流儀」とでもいうべき
3つのことを大切にしています。
この3つの流儀でマサキは
成功体験に
出逢うことができました。
まずは【其の壱】の
「継続」の話。
マサキは、毎日、
朝活を2時間しています。
マサキの成功体験の始まりは
2時間の朝活にあります。
マサキは朝型で、
夜やるよりも頭の働きが
良いので朝活に
活路を見出しました。
でも、だからと言ってマサキは
「朝活こそすべて」とか、
「朝活しか勝たん」とは
言いません。
だって、そこが
ポイントじゃないから。
ポイントは「続ける」ってこと。
眠い日もありますし、
大好きな二度寝の誘惑に
負けそうな日もあります。
でも、マサキは朝活を
続けています。
この継続があったからこそ、
人生初のコンテンツを創り上げ、
0→1を達成できたと
考えていますし、
どんなことでも「継続」が
自分を理想へと押し上げる、
もっとも基本で、
もっとも重要なモノだと
感じています。
だから、朝活がムリなら、
夜活でも、昼活でもいいので、
毎日、コツコツ
継続できる時間帯に、
愚直に積み上げをする。
これが大切なことだと
確信しています。
次に【其の弐】の
「好き」の話。
マサキはトロンボーンが
演奏できます。
でも、逆上がりはできません。
この差は、「好き」があったか、
なかったかの差。
吹奏楽部で青春のすべてを
置いてきたマサキは、
トロンボーンを吹くのが
大好きでした。
ヘタクソだったんで、
先輩や顧問、
時には後輩に演奏に関して
注意されることもありました。
だから、吹奏楽部での経験は、
今と同じポンコツ経験ばかり。
人に聴かせたら、
よく続いたねって
言われそうなくらい。
でも、どんなに怒られても、
どんなに恥をかいても、
どんなに後輩より
ヘタクソでも、
文句を言いつつも
続けられたのは、
「好き」が心の
底にあったから。
だから続けられ、
トロンボーンが
演奏できるのです。
逆に、逆上がりは
1ミリも「好き」が
存在しなかったために、
練習に挑もうとすらせず、
小学校の時、
「クラスで唯一の
逆上がりできない子」
という称号を獲得して、
どんなに恥をかいても
練習もせずにいました。
もともと、
運動音痴なんですが、
今でも逆上がりは
出来ないです。
マサキが創ったコンテンツは
文章のコンテンツで、
これからも文章のことを
深めていきたいと
想っています。
そこには「好き」があるから。
マサキを10年の無職という
淀みから救い出してくれた
愛しの恋焦がれる人。
その人が、本が大好きなんで、
いつの日か彼女の心に
響くような言葉を紡ぎたいし、
彼女の心に沁みる言葉に
出逢いたいっていう
想いがあります。
その想いがあるから、
副業の先生からミソクソに
ダメ出しされても、
新たな知識を
仕入れることからも
「ひるむ」ことなく、
前向いて
足掻いていけています。
そして【其の参】の
「心の宿った不完全さ」の話。
不完全さが人を
惹きつけてくれます。
副業の先生が、
その大切なことを
教えてくれました。
副業の先生の
Twitterアカウントは、
万垢ではありません。
副業の先生は、
フリーランス
1年目(2022年時点)の
いわば新米先生です。
副業の先生は、
教え方が誰よりも
上手な人ではありません。
副業の先生は、
月々100万円の
利益を上げている
猛者ではありません。
副業の先生は、
マサキと同じ
ポンコツ臭が
漂う人です。
だから、マサキの副業の先生より
優秀な先生を探し出すことは
できるはずです。
マサキが「月々100万円を
稼ぎたい」と副業の先生に、
その方法を聴いたとしても、
その道のりのことは
語ることはできません。
それどころか、
参加中のプロジェクトで
毎月開催している
懇親会の日程調査の
アンケートで、
肝心の開催日の日付を
間違えて送ってきて、
マサキみたいな
ポンコツ大王に
指摘されるまで、
気が付かないような人です。
マサキの前を
走ってはいますが、
マサキと同じように
理想に向かって
足掻いている
人になります。
欠けた部分を探せば
簡単に見つけ出せます。
でも、マサキは
その欠けた部分に
心を惹かれ、
だからこそ、
マサキの副業の
先生になってもらいました。
ポンコツを炸裂する
瞬間があっても、
数字の実績に見劣りを
感じたとしても、
教え方に拙さがあっても、
マサキの副業の先生は、
この人以外に考えられません。
マサキが副業の先生に
魅力を感じているのは、
欠けた部分を埋める為に、
考え、行動をし、
その背中でも教えを
授けようとしてくれるとこ。
努力の筋トレを
サボって10年も
無職をした男に、
「努力の筋トレ」の方法を
教えてくれる人だからです。
マサキにとっては、
どんな凄い実績を
証明する数字を
提示されても、
「努力の筋トレ」を
欠かさない副業の先生の
姿の方が心惹かれます。
マサキも完全な
結果ではなく、
副業の先生のように
「不完全さ」に
「心を宿す」ことで
誰かを惹きつけてみせます!!
アナタに10年間の
無職の経験がありますか?
マサキは10年間も無職で、
20歳を過ぎて、30代後半まで
親のすねかじりをして
生きてきました。
時々、世話になっている
親に適当なことを言って、
金をもらい、パチンコに
つぎ込んだこともあります。
そんなクズって、
あんまいないですし、
アナタはマサキみたいな
クズではないはずです。
マサキは0→1を達成しました。
もちろんこれからも
実績を積み上げていきます。
ここまでマサキの
ポンコツっぷりを紹介した後で、
それでもなお勘違いしている人は
少ないかもですが、
マサキが0→1を達成したのは
才能があったからという
理由ではありません。
むしろ才能がないから、
毎日、朝活で2時間
足掻いています。
才能という意味では、
学生を終えて普通に
就職できた
アナタの方があると
断言できます。
マサキが0→1を達成した
理由はたった1つ。
「俺なんかには・・・」は捨て、
「俺にも・・・」って感じで、
願うだけでなく、
その願いを実現すべく
行動をしたからです。
マサキは無職時代の10年間は、
いつも願ってました。
「働かなくても
金がもらえないか」、
「刺激のない毎日が
変わらないか」、
「マサキの能力を活かせる
場所がないか」・・・。
いろんなことを願ってました。
でも願うだけでした。
だから、何も
実現はしませんでした。
でも、そんなマサキだから
自信を持って断言できます。
理想の状態になりたいと
願うのは最初の始まりですが、
そこで終わっては理想は
何時までも理想のままです。
恋焦がれる人に憧れ、
「変わりたい」と願ったことが
就活を始めたきっかけですが、
実際に就活を果たし、
無職を終焉に導いたのは、
「変える」という
決意に支えられ、
マサキ自身が
「行動した」からです。
0→1を達成できたのだって、
「マサキさん、コンテンツを
創りませんか?」の
副業の先生の問いかけに、
漏れ出しそうになった
「俺にはムリです」って
言葉を呑み込み、
副業の先生の愛のある
ダメ出しにもめげずに
足掻き通したから。
行動こそがアナタを変え、
理想のアナタにしてくれます。
才能はあるにこしたことは
無いですけど、
才能だけがこの世の中で
必要なモノではありません。
むしろ、才能があるせいで
ダメになる人が大勢いますし、
何よりも才能のある人が
行動をしないで、
才能を腐らせている場面に
出逢うことがあります。
マサキはポンコツ大臣で、
アナタよりも才能はないですが、
0→1を達成できましたし、
今日も世界の片隅で
朝活の2時間を
足掻いています。
マサキなりに
必死になって・・・。
最後にマサキからの
お願いです。
行動しないで下さい。
マサキはポンコツなんで
アナタという強敵には
勝てそうにないです。
だから行動するマサキを
眺めているだけにしておいて
下さいね。
もしも、マサキの後塵を
排したくないのなら、
アナタがすべきことが何なのか、
アナタには分かっているはず。
これだけは言えます。
マサキにも、アナタにも、
無限の可能性が
広がっています!!